2ヶ月くらい前に書いたまま放置していたことに気がつきました(笑)
もったいないから…載せてみる!
以下、2ヶ月前の記事。
今読んだら、また違うこと、思うのかな〜
◇◇◇
これも図書館で発見したので、読んでみることにしました。
小説のほうがおもしろかった。
こういうのって、小説のほうがわかりやすいんですよね。
ぼやけていた輪郭がはっきりしたような気分です。
以下、思いつくまま書きなぐりの感想。
草薙も、湯川も、石神も、靖子も、みんな互いを探り合い。
面白い。
◇◇◇
映画だとまるで感情のない人形のように思えた石神。
思ったよりもいろいろ考えたり思ったりしているのがわかって身近に感じた。
私と同じだ。
◇◇◇
湯川は本当に石神を大切に思っていたんだなぁ。
◇◇◇
美里が手首を切った理由がわかるようでいてわからない・・・。
(わからないといえば、映画で山登りをするシーンの意図がわからなくなった。)
◇◇◇
もし、草薙が石神と同じような立場に立ったとしたら、湯川は今回と同じように苦しむのだろうか?
◇◇◇
「愛してくれる人がいるのに、どうして幸せになれないのか・・・」
こんなことを靖子がどこかで言ってた。
幸せになれなかった代わりに、彼女には石神の深い愛が捧げられたのだろうか?
◇◇◇
石神の計算ミスは…人の心の動きを計算の中に入れてしまったこととでも言えばいいのか…。
人の心は、数学的美しさを破壊する力があるってことを知らなかったのか。
知らなかっただろうな…。
◇◇◇
天才数学者、石神。
あまりの天才ぶりから、靖子の最後の行動ですら彼の中で計算されていたことではないか?というまるで出口の見えない思考に取り付かれてしまう。
事件は解決したのに迷宮入り・・・みたいな感覚。
見方によっては、靖子が自首してくることによって彼は靖子を手に入れたことになるようにも見える。
彼は、靖子が自首してくることすら計算の中にいれていたのだろうか?
それはないと信じる。
「崇高なるものには、関われるだけでも幸せなのだ」
「彼女たちがいなければ今の自分もないのだ。身代わりになるわけではない。これは恩返しだと考えていた。」
この気持ちそのものが崇高なものであり、欲望とは次元が違う。
こんな感情を抱いた人が意地汚い計算をするはずがない。
何よりも、湯川の行動が、最後の事態が計算されたものでないことを証明していると思う。
もしも計算だとしても、湯川にはそれが計算されたものだということはわかっただろうし、そんな人間のために苦しむこともないはず。石神自身も、あんなふうに感情をむき出しにして泣くことはできなかっただろう。
「献身」=他人やある物事のために自分の利害を考えず力を尽くすこと。
石神の想いを前にしたら、自分の勘繰りが浅はかで恥ずかしい。
◇◇◇
石神は嫉妬に狂うわけではなかったから、結局、数学的頭脳を感情が越えることはなかったんだなと思ったれど、それは「愛」だからか。
「恋した」のではない。
だから、「献身」が成り立ったのか。
◇◇◇
もし、自分の利益まで計算していたというなら、いったい何を利益にしようとしていたのか。
誰か教えてくださいな。
(っていうか、そういう利己的な計算をしていた段階で、石神の計算の数学的美しさってのは無くなるような気がする。)
◇◇◇
結局、天才数学者が得た解答は彼にとってシンプルなものだったのか?
得られたものは「すべて」だったのか、それとも「ゼロ」だったのか・・・。
気になる・・・。
今は「ゼロ」でも、いつか「すべて」になってほしいと願う。
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